亀の井酒造のくどき上手は、ラベルも名前もインパクトあり!

亀の井酒造のくどき上手は、ラベルも名前もインパクトあり!

喜多川歌麿について

喜多川歌麿は、美人画と博物図で知られた江戸時代の浮世絵師です。1753(宝暦3)年に生まれたと言われています。

写楽を有名にし、TSUTAYAの名前の由来になった蔦屋重三郎によって見出だされ、人気を博しました。度重なる幕府からの検閲にも工夫を凝らしてかわす、という反骨精神の持ち主だったようです。

「筆綾丸(ふでのあやまる)」というペンネームで狂歌もよみ、蜀山人こと大田南畝とも交遊がありました。

特に、女性の大首絵(女性の上半身または胸から上を描いた作品)で知られ、「婦女人相十品」の「ビードロを吹く娘(ポペンを吹く娘)」は教科書に掲載されたり、切手のデザインに採用されたりしていたので、知っている方も多いはず。

喜多川歌麿は、1804(文化元)年、豊臣秀吉の醍醐の花見について書かれた「絵本太閤記」を錦絵のテーマとしたことで逮捕されてしまいます。

喜多川歌麿は、失意のうちに、2年後に亡くなったと言われています。

喜多川歌麿の本名や生誕地、生年月日・没年月日などはいろいろな説があり、はっきりとしていません。喜多川という姓は、北川から喜多川になったという説、蔦屋重三郎の本姓である喜多川からとったという説があります。

亀の井酒造について

現在は5代目が社長をつとめる、1875(明治8)年創業の亀の井酒造。先代が戦争に行ったこともあり、戦争中から昭和35年まで酒の製造ができませんでした。一時は廃業を考えたこともあるそうです。

以前は「亀の井」の銘柄でお酒を販売していましたが、東京で出会った醸造酒に衝撃を受け、起死回生をはかるため、銘柄を「くどき上手」という名前に変更、ラベルも喜多川歌麿の浮世絵を使うことになりました。

「くどき上手」は、女性をくどくのではなく、武士が他の武士をくどき落として出世したように、このお酒も出世していけたら、という意味合いで5代目の奥さんが名づけました。

くどき上手

昭和59年販売を開始した「くどき上手」は、西武百貨店で扱われたことなどで人気に火がつきました。現在は品質を守るため、店舗を限定して販売しています。

昭和59年に販売を開始した、「くどき上手」の原点である純米吟醸「くどき上手」は、亀の井酒造の売り上げの7割を占めています。

「くどき上手」のラインナップには、5代目が酒造りを学んだ明利酒類の副社長だった小川知可良が開発した10号酵母と、明利酒類が開発したM310酵母が主に使われています。すべてが吟醸仕込みという、こだわりの酒蔵です。

現在は5代目の息子さんで専務が作った「くどき上手Jr」のシリーズも販売されています。「くどき上手Jr. White」は、第1回酒-1グランプリで雅部門の金賞を受賞した日本酒です。

第1回酒-1グランプリでは「スーパーくどき上手」もグランプリを受賞、今年の大会では、「くどき上手」が4位に入賞しました。

喜多川歌麿のラベル・デザインについて

ラベル・デザインに喜多川歌麿の浮世絵を使うことに決めたのは、5代目が浮世絵好きだったからだそうです。

最初は春画を使っていたのですが、お寿司屋さんに取り扱いを断られたため、現在のラベルに変更したそう。最近は美術館でも展示されている春画ですが、当時はかなり大胆なラベル・デザインだったのではないでしょうか。

「ばくれん」に使われている浮世絵は、喜多川歌麿の「教訓親の目鑑 俗二云ばくれん」です。ばくれん(莫連)とは、山形弁で「すれっからし」や「親の言うことを聞かずに好き勝手している女」などを意味するそうです。

「おしゅん」は、喜多川歌麿の浮世絵「伝兵衛女房おしゅんが相」をラベルに使用。

それ以外にも亀の井酒造の多くの日本酒には、喜多川歌麿の浮世絵がラベル・デザインに使われています。

【参考文献】
「新潮の本美術文庫16 喜多川歌麿」新潮社
「歌麿」とんぼの本 新潮社
「のみたい、うまい日本酒がわかるお酒の本-全国蔵元755の酒 味わいガイドブック」永岡書店
「愛と情熱の日本酒ー魂をゆさぶる造り酒屋たち」ダイヤモンド社

【画像】
筆者撮影

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米鶴酒造と小川芋銭のかっぱラベルのつながりをご紹介します

米鶴酒造と小川芋銭のかっぱラベルのつながりをご紹介します

小川芋銭について

小川芋銭(うせん)は、かっぱの画家として知られています。ちょっと変わった芋銭という雅号は、芋が食べられるくらいの銭(お金)が稼げれば、という意味と「徒然草」に登場する芋好きの僧から取られました。他に、牛里(ぎゅうり)という俳号も持っています。

牛久藩の重臣だった父のもと、1868年(慶応4年・明治元年)、江戸に生まれた小川芋銭こと茂吉。明治になり、職を失った父や家族と共に、茨城県の牛久に戻ります。

学校帰りには、牛久沼の近くで農業を始めた父の手伝いをする芋銭。夜は、父のもとで働く松爺さんに、かっぱ伝説などの話を聞かされます。家の近くには、かっぱがしばられたというカッパ松もありました。身体の弱かった芋銭は、いたずら好きなかっぱに小さいころから憧れていたようです。

小学校の途中で、江戸の藤屋に丁稚奉公に出された芋銭。丁稚を辞めた後、印刷技術を学ぶと偽り、彰技堂という絵の学校に通います。

その後、再び藤屋の丁稚に戻った芋銭は、藤屋の遠縁にあたる尾崎行雄の紹介で、朝野新聞社に入社。挿画を描くことに。彰技堂の先輩・浅井忠とも一緒に取材しました。

体調を崩し、26才で牛久に戻った芋銭は、農業を手伝いながら、「茨城新報」に漫画の投稿をはじめます。その後、「茨城新報」の編集者の紹介で、水戸の新聞「いはらき」に漫画が掲載されることに。この頃、俳句の投稿も開始します。

「いはらき」の主筆だった佐藤秋蘋(しゅうひん)の縁で、幸徳秋水や一生の友・小杉未醒と知り合います。
「いはらき」には、明治36年から亡くなる昭和13年まで作品を掲載。俳句雑誌「ホトトギス」にも、明治43年から昭和13年まで挿絵を載せています。

大正4年、珊瑚会に参加。大正6年、その会で展示した「肉案」という作品を横山大観が見たことがきっかけで、50才で日本美術院の同人になります。

大正10年、アメリカのクリーブランド博物館が企画した、日本美術院展のため、「水虎と其眷属」、「若葉に蒸さるる木霊」の2点を出品。かっぱを描いた作品ですが、実は大逆事件で刑に処された幸徳秋水と仲間たちをイメージした作品だと言われています。

昭和13年2月、「河童百図」を出版し、12月に亡くなりました。

米鶴酒造について

米鶴酒造は、1704(元禄17年・宝永元)年、山形県東置賜郡高畠町で創業を開始しました。明治時代に「米鶴」の銘柄を生み、他社に先駆けて名前の入ったコップを使用。吟醸酒がブームになるきっかけを作った酒蔵でもあります。
米鶴酒造
http://yonetsuru.com/

「米鶴かっぱ」以外にも、「米鶴 純米カンタービレ」という猫のイラスト入りラベルのお酒も販売しています。こちらのラベルは、チェコ人の画家・ガブリエラ・ドゥブスカの絵を使用したものです。猫好きや女子ならば欲しくなりそうなデザインです。

かっぱ

小川芋銭と日本酒、そして米鶴酒造のつながりについて

小川芋銭は病弱なので、大量には飲めなかったのですが、お酒好きだったようです。米鶴酒造以外にも、日本酒に関わりがあります。

たびたび訪れた会津で知り合った、大和川酒造店の6代目。「酒星眼回」の箱やラベルのデザインは、大和川酒造店を訪れた際に、芋銭が書いた文字や絵を使用したものです。

俳句仲間の西山泊雲は、丹波にある「小鼓」で有名な西山酒造場の3代目だったので、画室を用意された芋銭は、しばらく滞在していたようです。

それだけでなく、昭和11年に泊雲の長男と芋銭の次女、
芋銭の3男・知可良と泊雲の長女が結婚したので、親戚関係になりました。

米鶴酒造との関わりは、芋銭の3男・知可良が水戸にある明利酒類の副社長になったことがきっかけです。知可良は、東北地方で集めたもろみから10号酵母(小川酵母・明利酵母)を開発した研究者でもありました。

先代を早くに亡くした米鶴酒造の11代目は、日本酒造りを知可良に学んでいました。その縁で、知可良の父である芋銭の絵をラベルに使い始めました。

「米鶴かっぱ」には、モノクロラベルの辛口本醸造の他に、限られた店でしか購入できないカラーラベルの「米鶴かっぱ特別純米 超辛口」も。愛嬌のあるかっぱを使ったデザインは、見ているとほのぼのした気分になってきます。

「米鶴かっぱ」シリーズには10号酵母は使われていないのですが、季節限定品など一部の商品に10号酵母が使用されています。

【参考文献】
「河童芋銭」河出書房新社

【画像】
http://yonetsuru.com/

六花酒造と弘前銘醸の日本酒「遊天」は棟方志功のラベルが目印

六花酒造と弘前銘醸の日本酒「遊天」は棟方志功のラベルが目印

棟方志功について

「わだばゴッホになる」という言葉で特に知られている版画家・棟方志功。明治36(1903)年、青森県青森市で生まれました。

“志功”とは画号のような名前ですが、本名です。祖父がつけようとした“彦”という名前を、父が同じ発音の“志功”にしたようです(青森ではどちらも“スコ”と発音するそう)。

おばあちゃん子だった志功は、信心深い祖母に依頼されて経本を読んだり、寺に連れて行ってもらったりしていました。

棟方志功の作品に仏像などが多く登場するのは、子供時代の影響が強いのかもしれません。

小学校卒業と同時に鍛冶仕事を兄としていましたが、16の時に裁判所の給仕に転職。仕事の合間には、近くの合浦(がっぽ)公園にスケッチしに行きました。その時に松木満史や鷹山宇一、古藤正雄と知り合い、のちに「青光社」という会を結成。

その頃、洋画家の小野忠明と出会い、ゴッホのひまわりが表紙になった雑誌「白樺」をもらったことで、ゴッホに強く影響を受けます。

また、「青光社」の展覧会の絵を「東奥日報」の編集長にほめられたことで、東京で画家になろうと改めて決意。

父に帝展(現在の日展)に入選する画家になれ、と言われ上京します。これで受からなければ青森に帰ろう、と考えた5年目(昭和3年・1928年)、油絵「雑園」で帝展に初入選。

帝展に入選する直前に川上澄生の版画を見たこと、ゴッホの「タンギー爺さん」の後ろに浮世絵が描かれていることから、版画に強く興味を抱き、版画家に転向します。

昭和6(1931)年、かなり川上澄生の影響を受けた、初の版画集「星座の花嫁」を刊行。

昭和11(1936)年、「大和し美(うるわ)し板画巻」を国画会展に出品し、浜田庄司・柳宗悦に絶賛されます。この作品は柳宗悦が館長の日本民芸館に買い上げに。その後、2人の紹介で河井寛次郎とも出会います。

昭和14(1939)年、「釈迦十大弟子」を彫ります。この作品は昭和30(1955)年、サンパウロ・ビエンナーレで最高賞、翌年、ヴエニス・ビエンナーレで国際版画大賞を受賞。棟方志功の代表作と言われています。

谷崎潤一郎作「鍵」のさし絵版画やエッセイ集「板散華」なども有名です。

昭和50(1975)年、亡くなりました。

六花酒造について

青森県弘前市を代表する蔵元である六花酒造。昭和47(1972)年に市内の蔵元である「白藤」、「白梅」、「一洋」が合併してできました。「六花」という名前は、雪の結晶をイメージしてつけられたそうです。

六花酒造
http://www.joppari.com/

六花酒造は駅のキオスクでも売られている辛口のお酒「じょっぱり」で特に知られています。

「じょっぱり」は津軽弁で「頑固者」の意味で、青森県民の気質を表しているとも言われています。

ラベルのちょっとこわもての顔は、黒石の温湯(ぬるゆ)こけしに描かれただるまの絵だそうです。

現在は、日本酒「遊天」の製造も行っています。

弘前銘醸について

昭和7(1932)年、他の蔵元を引き継ぎ、弘前銘醸を設立。創業当時から「遊天」は販売されていました。

弘前銘醸
http://www.meijo.esutera.com/meijocoltd/munakata.html

戦争中からしばらく「遊天」の製造は中止されていましたが、昭和30(1955)年、製造を再開。

そして、昭和43(1968)年、棟方志功作の版画がデザインされたラベルの「遊天」を販売開始します。

昭和60(1985)年、清酒業を廃業し、「遊天」をはじめとした日本酒の販売を担当。

赤煉瓦倉庫は、弘前市の「趣のある建物」にも選ばれています。

棟方志功と日本酒、そして「遊天」のラベル・デザインについて

遊天

見た目はかなり飲めそうな棟方志功ですが、日本酒は飲まずお茶が大好きだったようです。

ですが、「遊天」以外にも、広島の白牡丹酒造「白牡丹」のロゴや版画作品を残し、それらはラベルのデザインに現在も使用されています。

同じく広島の久保田酒造の「菱正宗」のラベルには、棟方志功による松と菱のデザインが使われています。

また、現在は廃業してしまった島根県安来市の天界酒造にも、河井寛次郎が知り合いだったため訪れていました。

しかし、棟方志功がラベルや色彩、化粧箱などトータルで手掛けている日本酒は「遊天」のみなので、特に棟方志功の作品が好きな人ならば、一度は手に入れたいお酒かもしれません。大吟醸と純米吟醸には別々の「遊天妃」の図柄が使用されています。

遊天

「遊天」の酒瓶は、棟方志功の作品「禰武多運行連々絵巻(ねぶたうんこうれんれんえまき)」にも描かれているそうです。作品は青森市の棟方志功記念館に所蔵され、原画は期間を限って公開されているようですよ。

【参考文献】
「人間の記録13 棟方志功 わだばゴッホになる」日本図書センター

【画像】
http://www.meijo.esutera.com/meijocoltd/munakata.html

原研哉デザインの日本酒ボトル「白金」は、日本酒の常識を覆した!?

原研哉デザインの日本酒ボトル「白金」は、日本酒の常識を覆した!?

桝一市村酒造場について

桝一市村酒造場が広く知られる存在になったのは、アメリカ出身のセーラ・マリ・カミングスが入社したことが大きいです。今は退社してしまったそうですが、ちょっと下火になっていた桝一市村酒造場を一躍有名にした立役者です。

桝一市村酒造場
http://www.masuichi.com/

「スクウェア・ワン」(“桝一”を四角と横線で表現したシンプルなボトルデザイン)を初めてテレビで見た時は、ちょっと驚きました。「白金」のボトルをステンレスで作る、という発想も彼女が考えたものだそうです。

他に、宿泊施設・桝一客殿や和食レストラン「蔵部」を企画、酒作りに使う木桶の復活も行いました。

わたしは小布施には3回行ったことがあるのですが、桝一市村酒造場のことはその当時は知りませんでした。

小布施は栗と葛飾北斎で知られているので、小布施堂(桜井甘精堂と共に有名な栗菓子店)や岩松院、高井鴻山記念館などを観光。

パトロンの高井鴻山に招かれ、小布施に滞在した葛飾北斎が岩松院の天井画を描いたことは知っていたのですが、
今まで高井鴻山が桝一市村酒造場の12代目ということは知りませんでした。小布施は昔から旅人や外部の人を受け入れる気質のある町なのだと思います。

桝一市村酒造場の日本酒は、小布施か桝一市村酒造場のWebページからしか購入できないので、かなり貴重かもしれません。

宿泊施設・桝一客殿は、「ロスト・イン・トランスレーション」という映画の舞台にもなった新宿のホテル・パークハイアット東京の内装を手掛けたジョン・モーフォードがデザインしました。

原研哉について

原研哉は1958年、岡山に生まれました。グラフィックデザイナー・日本デザインセンター代表で、武蔵野美術大学教授です。

長野オリンピックの開・閉会式プログラムや愛知万博のプロモーション、松屋銀座のリニューアルなどを手掛けました。

2002年、無印良品のアートディレクターに就任します。2003年、その広告でADC賞グランプリを受賞。

書籍「デザインのデザイン」で2004年、サントリー学芸賞を受賞しました。著書の多くは、外国語に翻訳されるか日本語と英語の2か国語対応で出版されています。

デザイン

https://www.amazon.co.jp/

TSUTAYAが運営する海老名市図書館のサイン計画も担当しているそうです(私は知らないで利用していました)。おしゃれでスッキリしたサインです。

紙の専門商社である竹尾のために企画した「Re Design」という展覧会は、ヨーロッパを巡回。この展覧会で世界インダストリアルデザインビエンナーレ大賞を受賞しています。

「白金」のデザインについて

白金

「白金」は鏡面のステンレスボトルを用い、手でちぎった名前入りの和紙で封をした日本酒です。ちょっと見には日本酒のボトルに見えない、スタイリッシュなデザインです。

日本酒のボトルというとラベルが貼られているものが圧倒的に多いですが、このボトルはラベルがないため、飲んだ後、色んな用途に使えそうです。例えば、一輪挿し代わりに利用するのも良いかも。

50年ぶりに桶仕込みを復活させ、500ml 2000本限定・10,000円で販売した最初の「白金」は、即日完売したそうです。

原研哉は「白金」のデザインだけでなく、桝一市村酒造場の看板やサイン計画も手掛けています。

KENZO PARFUMS(ケンゾーパルファム)のクリエイティブディレクター・パトリック・グエージは、「白金」のデザインが気に入り、原研哉にこのボトルの使用許可を得ました。そして、2008年、コロン・KENZO POWERを販売しています。

日本酒のボトル・デザインはガラス瓶でラベルが貼ってあって、というのが常識でしたが、セーラが外国人だからこそステンレスボトルを使うという大胆な発想ができ、世界にも通用するボトルになったのかもしれません。

【参考文献】
「白」中央公論新社
「エムディエヌデザイナーズファイル 2005年度版」エムディエヌコーポレーション
「ニッポンのデザイナー100人」朝日新聞社

【画像】
http://amzn.asia/7jXvbrP
http://www.masuichi.com/shopping/hakkin.htm

角星のガーリーな日本酒・「NAMIとUMI」は乙女心をくすぐる

角星のガーリーな日本酒・「NAMIとUMI」は乙女心をくすぐる

KIGIについて

株式会社KIGIは、株式会社DRAFTに所属していた渡邉良重と植原亮輔が、フランチャイズシステムで独立し2012年に作った会社です。

2人がコンビを組むようになったのは、1999年、仙台のベーカリーレストラン「caslon」をオープンするためのプロジェクトからです。

その後、株式会社DRAFT が立ち上げたプロダクトショップ・D-BROSや、女性用下着ブランド「une nana cool」のプロジェクトなどにも共に参加しました。

D-BROSを代表する商品は、ビニール製フラワーベース「hope forever blossoming」です。

ホープフォーエバーブロッサム

株式会社DRAFTの代表・宮田識は、担当する会社のデザインだけでなく、ブランディングから請負っています。

「このブランドだから買いたい」というブランドを作るため、その会社や商品を愛し、時にはその会社が気付かなかった問題点を指摘したり、新たな提案を持ちかけたりすることもあるようです。

KIGIの2人はそのDNAを受け継いで、デザインを行っています。

KIGIでの活動としては、

・2013年、沖縄の障害者が商品を作るプロジェクト「琉Q(ルキュー)」のブランディング。

・2014年、滋賀県の職人と共同で起こしたプロジェクト「kikof」から、陶器を発売開始。

・2015年7月、白金にギャラリー&ショップ「OUR FAOVOURITE」をオープン。

・2016年、スターバックスコーヒーとのコラボ商品販売。

などがあります。

渡邉良重は1961年、山口生まれ。

山口大学の教育学部を卒業後、筑波大学の研究生を経て、株式会社DRAFTに入社。

わたしが渡邉良重の作品を初めて見たのは、モスバーガーのトレイに敷かれた紙だった記憶があります。

1995年、JAGTA(公益社団法人日本グラフィックデザイナー協会)新人賞を受賞。

絵本「BROOCH」で第84回NY ADCの金賞などを受賞します。

いちご専門洋菓子店「AUDREY」のパッケージデザインで、第19回亀倉雄策賞を受賞。5月20日まで、銀座のギャラリーG8で受賞記念展が開かれています。また、5月14日まで「OUR FAOVOURITE SHOP」でも原画展を開催中です。

植原亮輔は1972年、北海道札幌生まれ。

1997年、多摩美術大学を卒業し、株式会社DRAFTに入社します。

2001年、JAGTA新人賞を受賞。

ファッションブランド・「THEATRE PRODUCTS」の仕事で、2009年亀倉雄策賞を受賞しました。

角星について

角星は1906(明治39)年に岩手県で創業し、1908(明治41)から宮城県気仙沼市で続く酒造店です。

角星
http://kakuboshi.co.jp/

もともとは地元メインに販売していたのですが、東日本大震災で本社が全壊・販売先も失ったため、全国に日本酒を販売することを検討しました。

角星の代表的な日本酒である「金紋両國」は、かつての陸中の国で醸造して陸前の国で販売されたため、2つの国をあらわす「両國」と名付けられました。

NAMIとUMIについて

NAMI

気仙沼の「アンカーコーヒー」のコーヒーパッケージを気に入った「角星」のオーナーが、「ほぼ日刊イトイ新聞」内の「気仙沼のほぼ日」に新しい日本酒の開発(ラベル・デザイン)を依頼しました。

そして、「アンカーコーヒー」のコーヒーパッケージを手掛けたKIGIが、「NAMIとUMI」のラベル・デザインを担当することに(植原亮輔がロゴ・渡邉良重がイラスト)。

「NAMIとUMI」に書かれたメッセージとコピーは、CMプランナー・高崎卓馬が担当。2013年7月誕生しました。

「NAMIとUMI」のお米は、宮城県で開発された気仙沼産の「蔵の華」、酵母は宮城県産の愛美(まなみ)を使用。アルコール度数が低く甘めなので、ラベル・デザインだけでなく味も女性向きになっています。

【参考文献】
「DRAFT 宮田識 仕事の流儀」日経BP社
「読売新聞」2017.4.27 朝刊

【画像】
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http://kakuboshi.shop-pro.jp/?pid=61117439

久須美酒造の「清泉」は、デザイナーズ日本酒ラベルの走りだった?!

久須美酒造の「清泉」は、デザイナーズ日本酒ラベルの走りだった?!

久須美酒造について

1833(天保4)年、創業の久須美酒造。漫画・ドラマ「夏子の酒」の舞台として知られています。

夏子の酒

このお話は、久須美酒造が昭和初期まで日本酒に使われていたお米「亀の尾」を3年かけて復活させ、日本酒「亀の翁」を完成するまでを描いています。わたしはこのドラマはリアルタイムで見ていました。

久須美酒造では、そのお話にちなんだ「夏子物語」という日本酒も販売しています。

「亀の翁・三年熟成」は、昨年、ワインの評価を決めるパーカー・ポイントで、100点満点中98点という高得点をおさめました。

「清泉」のデザインを変更したのは2005年のこと。

そのことで、流行に敏感な若者を中心に、かっこいい日本酒デザイン・ラベルとして知られることとなりました。

「清泉」シリーズのラベルは、すべて浅葉克己が手掛けています。新潟中越地震などで廃業を考えた際に、新ラベルに変更し心機一転することにしたそう。

「清泉」は2011年「にいがたの名工」に選ばれた、杜氏・星清次郎が作った日本酒です。

秋限定販売の「清泉 越淡麗」は、新潟県で16年かけて開発された「越淡麗」(こしたんれい)という吟醸酒用のお米を利用して作られた日本酒。「清泉 七代目」という日本酒は、7代目社長が若手と「麹蓋」という技術を復活して麹を作った日本酒で、春・秋の年2回限定生産です。

他にも、「越淡麗」と「亀の尾」を両方使った夏限定の「夢花火・恋花火」、ミニボトルの吟醸酒「こぴりんこ」など、ラベル・デザインや名前だけでなく、新しい商品をいろいろ開発している蔵元です。

浅葉克己について

あさば

浅葉克己は1940(昭和15)年、横浜に生まれました。金沢文庫のある称名寺は小さいころの遊び場だったとか。その影響もあって文字やデザインに興味を抱き、トンパ文字、円盤文字なども研究しています。また、書家・石川九楊に師事しました。

1975(昭和50)年、浅葉克己デザイン室設立。西武百貨店「おいしい生活」、武田薬品「アリナミンA」などの広告を手掛けます。

現在、TDC(東京タイポディレクターズクラブ)会長やAGI(国際グラフィック連盟)日本代表をつとめ、自身が卒業した桑沢デザイン研究所の10代目所長でもあります。

子供の頃からはじめた卓球は、現在6段の腕前。「東京キングコング」という卓球クラブに40年以上所属している以外に、「ひとりピンポン外交官」としても北極や中国、死海、新潟の長岡で卓球の試合を行っています。また、カラフルな卓球台やボールも考案しました。

2009年、「浅葉日記」で東京ADC(東京アートディレクターズクラブ)グランプリを受賞しています。

「清泉」シリーズを中心とした久須美酒造の日本酒ラベルについて

「清泉」は白いラベルに青色のボーダー、デザインされた黒い文字が使われているのが特徴です。

清泉

「清泉 七代目」はニューヨークで活動する日本画家・千住博の絵と中国・清時代の書家・金農の文字を使用して、浅葉克己がデザインしました。このラベルは紙質の関係で、一枚ずつ手張りされているそうです。

「夢花火・恋花火」は、墨絵のようにモノクロで夏の花火をイメージしたデザインになっています。

「こぴりんこ」という可愛い名前は、発酵食品の専門家として知られる東京農業大学の名誉教授である小泉武夫が考えた、お酒を飲む時の擬音語なのだとか。

「こぴりんこ」には、男性用の「コピリンコ。」、女性用の「こぴりんこ。」があり、男性用には三つ引き(丸の中に引両紋をデザインしたもの)の家紋、女性用には揚羽蝶の家紋がデザインされています。どちらも中身は同じだそうです。

300mlとちっちゃいサイズなので、テーブルワインならぬテーブル日本酒としても使えそうですよ。

【参考文献】
「浅葉克己のトンパ伝心」講談社
「戦争の教室」月曜社
「ニッポンのデザイナー100人」朝日新聞社
「のみたい、うまい日本酒がわかるお酒の本-全国蔵元755の酒 味わいガイドブック」永岡書店
「芸術とは何か」千住博著 祥伝社

【画像】
http://amzn.asia/drvO3Nd
http://www.koizumi-sake.co.jp/catalogue/kiyoizumi/31023.html

欲しかった!日本酒限定品ラベル~伊藤若冲、奈良美智、横尾忠則…

欲しかった!日本酒限定品ラベル~伊藤若冲、奈良美智、横尾忠則…

伊藤若冲の日本酒限定品ラベル・デザインあれこれ

伊藤若冲の作品は、数種類の限定品日本酒にラベル・デザインとして使われています。

伊藤若冲は1716(正徳6年・享保元)年、京都・錦小路の青物問屋の長男として生まれました。23才の時、父の死去にともない家督を継ぎますが、絵に専念するため40才で弟に家督を譲ります。

「鳥獣花木図屏風」で特に知られ、1800(寛政12)年に亡くなりました。

わたしは三の丸尚蔵館で若冲の作品を初めて見ました。ちょうど、2006年に「プライス・コレクション」展が開催され、若冲ブームに湧いていた頃のことです。

ジョー・D・プライスは、伊藤若冲をはじめとした浮世絵のコレクターとして有名で、お父さんはフランク・ロイド・ライトに依頼してプライス・タワーというビルを建てました。フランク・ロイド・ライトと訪れたニューヨークで、若冲作品との衝撃的な出会いがあったそうです。

若冲作品が使われた日本酒限定品ラベル・デザインとしては、昨年開催された「生誕300年記念 若冲展」のグッズを挙げることができます。京都伏見の山本本家の清酒「神聖」が入った透明ボトルには、「鳥獣花木図屏風」に登場する象の絵柄。そして、赤い封緘紙が貼られています。

他には、伊藤若冲の親族の墓がある京都・宝蔵寺でも、所蔵されている「髑髏図」を使った日本酒が販売されていました。宝蔵寺が運営する若冲応援団に千円で入会するといただくことができたそうです。

宝蔵寺では「髑髏図」の御朱印をいただくことができるだけでなく、「髑髏図」など伊藤若冲作品も期間限定で見ることができます。

こちらは限定品ではないのですが、京都府与謝郡与謝野町の谷口酒造で、昨年、若冲生誕300年を記念し、「若冲」を販売開始しました。

谷口酒造

トップページ

この日本酒ラベル・デザインには、若冲の「雨龍図」と宝蔵寺の住職による「若冲」という文字が使用されています。

日本酒「若冲」には京都産の「祝」というお米が使われています。

若冲

新澤醸造店の「NIIZAWA Prize by ARTLOGUE」について

宮城県大崎市の新澤醸造店は、東京・はせがわ酒店によるSAKE COMPETITION 2016で、純米酒部門で第1位など計5つの賞を獲得。世界でも評価されている蔵元です。東日本大震災で蔵が壊れたため、蔵のみ山形県との県境である川崎町に移しました。

新澤醸造店が開催する「NIIZAWA Prize by ARTLOGUE」では、審査委員長に森美術館の館長を迎え、選出されたアーティストに日本酒のラベル・デザインを依頼しています。

ラベル・デザインをする日本酒・「NIIZAWA」は、宮城産のお米「蔵の華」を7%製米した最高級品。大吟醸でも40%製米を切るか切らないか、製米に約70時間かかるのですが、このお酒は製米に350時間。相当な手間暇がかかった日本酒です。お値段はなんと720mlで64,800円。

2015年のラベル・デザインには前衛芸術家・靉嘔(AY-O)の作品が、2016年ラベル・デザインには「自画像的表現」を行っている芸術家・森村泰昌作「「奴江戸兵衛」としての私」が使用されています。

奈良美智「A to Z」展での日本酒について

奈良

2006年、青森県弘前市の吉井酒造煉瓦倉庫で開催された奈良美智「A to Z」展では、前の項目で触れた六花酒造のオリジナルラベル「純米酒 A to Z Cup House」が数量限定で販売されました。

ワンカップのデザインは、雲の上の女の子、寝てる犬、3人の女の子の全3種類あり、会場で見たはずなのですが、3人の女の子のカップはあまり記憶にありません。

ちなみに、「A to Z」展のサテライト会場であった、南青山にある「A to Z CAFE」は現在も営業中です。

越後鶴亀の横尾忠則日本酒デザイン・ラベルについて

新潟県新潟市にある越後鶴亀(旧上原酒造)の社長は東京芸大卒業という経歴の持ち主。そのため、越後鶴亀のラベル・デザインを、元イラストレーターで画家の横尾忠則に依頼したそうです。

ワンカップの赤福助ラベルなどをデザインしましたが、2011年に会社名が変わったことで、このラベルは使わなくなったようです。

現在も使われている「招福神」は社長である上原木呂のデザイン・ラベルで、上原木呂はアーティストとしてマックス・エルンストやヤン・シュヴァンクマイエルとも展覧会をしました。

【参考文献】
「芸術のグランドデザイン」弘文堂
「若冲になったアメリカ人 ジョー・D・プライス物語」小学館
「芸術家Mのできるまで」筑摩書房
「日本酒完全バイブル」ナツメ社

【画像】

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